【豊臣兄弟】前田利家と佐々成政の運命的分岐点。秀吉との「距離」がすべてを決めた残酷すぎる現実
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みんなの反応
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利家が家族ぐるみで秀吉と近しい関係だったのは史実のようですが、成政との分岐点はまず賤ヶ岳で勝家側につきながら、ここぞというところで戦場離脱という秀吉勝利に決定的な貢献を果たしたのが大きいでしょう。たんに下っただけではないです、いくら個人的に親しかったとはいえそれだけで重用されるほど戦国時代は甘くはなく、秀吉にしても他の与力や家臣の手前、信賞必罰は大前提ですから。
利家も、危ない橋を渡っているんです。自分と家臣団を守るために。成政はその点、結果論ですがことごとく勝ち組を敵にまわす判断ミスを続け、それでも最後に肥後一国を与えられるという大復活を遂げているのにその大きなチャンスも活かせなかった。
これらをたんに秀吉との距離、だけですませるのはどうなのかと。
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何度も秀吉と敵対しているからもっと早くに滅ぼされている可能性だって十分あっただろうに、最後は肥後一国を与えられている。どうあれ秀吉からの評価は高い武将だったのではないか。
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徳川家康は織田信長の同盟者という立ち位置だったので織田家臣団ではないので、織田信雄を推した佐々成政が雪の日本アルプス越えしながら徳川家康に会いに行って接近したのも織田家の黒母衣衆のプライドを持ちながら闘気が高まったパワーもあったのかもしれない。
戦国乱世を越えていった前田利家は武芸もあるがそれ以上に算盤計算も上手かった説があり、囲碁に関しては本因坊と互先の実力だった説が有り、プライドよりも算盤と囲碁の両翼で大局観で損得計算も上手かったはず。
前田利家は北陸から転封なかったのも、大大名では有利だった。
加賀藩は、京・大阪と金沢と江戸との距離が地理的にほどよく離れていて政局では存在感を薄めて目立たないのも、じっくりと雪国に文化を独立できた勝因かもしれない。
日本の国際外交は、時代で戦国も江戸も幕末も実力に比べて存在感を薄めつつ実利を得ていった加賀藩を見習って学ぶべきなのかもしれない。
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利家とまつ、再放送してほしい、
描き方は同じような感じだった気がする。
佐々成政の奥さんは天海祐希だったかな。
松嶋菜々子、のりピーとの3人の場面は面白かった。
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「さらさら越え」で佐々成政に来られても、
家康はかなり迷惑だったろうな!?
さらさら越えで佐々成政が家康のもとに到着したのは12月。
11月には信雄が秀吉と単独で和睦してしまい、
翌12月には家康は於義丸(結城秀康)を秀吉に人質に差し出した直後だった。
佐々成政は厳冬期の危険な時期にわざわざ北アルプスを越えて富山〜浜松間を一月半で往復したにも関わらず結果無駄に終わったし・・・・
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"利家と松"の時の3人ははじめのうちは仲良かったように描かれてたんだけどねぇ
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昨日大河ドラマ「豊臣兄弟」人気で長浜にお邪魔して参りました。 人、人、人々でこのドラマの人気が伺えました、琵琶湖と言えば「男はつらいよ」で琵琶湖畔のほとりでかたせ梨乃さんと寅さんの静かな語り合いが頭に浮かびます、もう何十年も前の映画ですが(星が瞬く湖に何故か波音)と全く情感が違いました、山田洋次さんの舞台選定力、また俳優人臨機応変の情感力。
(特に渥美清さん) 今は亡き渥美さんを偲び湖北を楽しんで来ました、と同時に世の流れの変化を感じたのは私だけでしょうか。
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佐々成政の件で肥後国の件は自業自得でしょ。確かに縁もなく元々治めるのは難しい国だったらしいが加藤清正は今も尊敬をされるくらいしっかり統治した。
成政も肥後をしっかりと治められれば家康が権力を持った時それなりの役職をえられたはずだから。
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光通寺は中学の同級生の家…彼は元気ならば跡を継いだはず。
中学の時…歴史の授業で戦国時代を学んだ折「蛇池神社」「光通寺」等
身近な遊び場が歴史の大立物が歩いていた場所なんだと感慨深く思った…
小学生の学芸会で、御先祖さんの森蘭丸役をしたのも懐かしいw
蘭丸役に決まった事を喜んだ祖母は「鶴丸」の家紋がグエ〜と背中に入った
着物と陣羽織を着せてくれたのだが…『あまりにも立派過ぎて劇中では』と
担任が祖母に断りの挨拶に…ww
ただ学芸会の臨時催事として、図書室で展示してくれた。
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この記事にはドラマのネタバレが含まれています!!
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織田軍団の生え抜き武将は佐久間信盛、柴田勝家、丹羽長秀、与力となるが前田利家、佐々成政。新参は豊臣秀吉、明智光秀ですね。古参は信長を裏切り取って代わるとは夢にも思わなかっただろうね。秀吉に光秀は新参者ゆえに方面司令官になった時点で常に取って代わる意識と心構えはあっだろう。本能寺の変後の賤ヶ岳の戦いで丹羽長秀が秀吉について、勝家側の最強与力の前田利家が戦線離脱して勝負は決定したが、その報告を聞いて恨みもせずに北ノ庄に落ち延びて行ったらしい。後に北ノ庄は丹羽長秀が居城を構えて直ぐに病死、前田利家は金沢に佐々成政の富山もいただく大大名となるが、信長直参の北陸方面武将達の成れの果てですね。



