【欅坂46】「皆さんの心の中で1分間、どうか9年前の今日を思い出してくれたら嬉しいです。」東日本大震災で被災した宮城県出身の石森虹花、追悼の意をブログに綴る!

2020.3.11 石森虹花 公式ブログ
『9年目の今日、想うこと。』

  • 3.11

    今日で東日本大震災から9年という月日が経ちました。

    9年か…、、

    何もかも鮮明に覚えていて9年という時間が本当に経っているのか、、
    今とても不思議な感覚です。

    当時私は13歳でした。

    丁度、姉の中学の卒業式の日でお昼ご飯を済ませて帰る時でした。

    携帯の緊急地震速報が鳴ったと同時に大きな揺れが発生し立っていることが出来ずひたすらみんなで腕を掴み合って地面にしゃがみ込んでいました。

    目の前の道路は地割れが起き赤信号で止まっていた車は揺れとともに前へ進んでいきます。

    目の前で起こっている光景が地獄でした。

    揺れがおさまり、車で自宅へ帰ってる途中
    木造の古い家は跡形もなく、、
    その他にも塀や瓦が崩れています。

    私は近所のおじいちゃん、おばあちゃんの安否がとても心配になりました。

    自宅は中に入れる状態ではなく
    その日、片付ける気持ちにもなりませんでした。
    なのでそこから数日間は車で寝泊りして過ごしました。
    車の中で聞いてたラジオが唯一の情報源で、

    「津波9m!」

    「屋上にはたくさんの人がいます!」

    そんなはずないと家族みんなで疑って聞いていました。

    数日後お昼くらいに新聞が手元に届きました。

    津波は本当に起きていて、衝撃的な現実を新聞を通し知りました。

    その時、生きてることが本当に奇跡だと感じました。

    どこも知っている町、馴染みのあって思い出のある町。

    生活のライフラインは一気に止まり、
    毎日水汲みを頑張りました。
    たくさんの人が並び、どの入れ物がよりたくさん水がはいるのか?
    大きなお鍋、ペットボトルをたくさん、クーラーボックス、
    みんな考えて色々な物を持ってきていました。
    私はウォーターサーバーの空を持っていきました。
    給水場から少し距離がありましたが12リットルを両手で持ち運んだのを今も覚えています。
    今思うと、水があるだけでとても心に余裕が持てました。

    この時に誰一人、文句を言ったり自分勝手な人はいなくて、台車を貸しあったりお互い声を掛け合ったりとたくさんの優しさにも助けられました。

    電気が付くようになり、1番最初に見たのは音楽番組でした。
    節電のため照明や電飾を最低限に抑えてアーティストさんたちが歌ってくれていました。

    とても元気をもらったのを覚えています。

    9年が経ち、私は今22歳になりました。

    13歳の頃の自分が経験したこの東日本大震災は生涯忘れることなく、これからも伝えていきたいと思っています。

    この時にたくさんのアイドルや音楽に助けられてきました。

    今、欅坂46というグループで活動させて頂き
    こうしてブログという場所で想いを伝えられることをとても有り難く思っています。

    欅坂46の楽曲や活動を通し誰かの心に寄り添えるそんな人になれたら嬉しいです。

    そして、毎年行われていた追悼式は今年行われません。

    ですが、14時46分

    皆さんの心の中で1分間、どうか9年前の今日を思い出してくれたら嬉しいです。

    誰かにもらった思いやりと優しさって
    忘れないもので、それを苦しい時期こそお互い分け与えられることができたらいいな、、

    このブログを書く時いつも強く思うことです。

    今年も読んでくださり本当にありがとうございました。

    2020年3月11日

    欅坂46 石森虹花

石森虹花 公式ブログ 『9年目の今日、想うこと。』 より引用しました

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引用元:
http://rio2016.5ch.net/keyakizaka46/