長嶋茂雄さんが高校時代に唯一放った本塁打 伝説のスコアブックが県営球場に今も 息子・一茂もデビュー「3三振しました。高校1年」
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みんなの反応
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この県営球場は、ルース&ゲーリッグらを擁した全米チームもゲームをしていますし、青バットの大下弘さんが戦後最初に練習をされた球場でもあります。
大改装で現在の仕様になったのは昭和の終わりごろからですが、由緒ある歴史を誇るスタジアムですね。
年に数回観戦に行きますが、どこか昭和の懐かしい雰囲気も残る、大好きな球場です。
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長嶋茂雄さんがホームランを放った前の県営も中学生の時に使っていて懐かしく見てました。狭い球場で自分も本塁打打ちましたが自分は金属、長嶋さんは木なので価値が比べものになりません。今の県営も自分が高校2年に完成し、最後の夏も県営でノーヒットノーランで負けてしまい、思いでが1番ある球場です。
新しい球場計画あるので、個人的には寂しいですね
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一茂さんの立教高校での公式戦のデビューは、その年の選抜高校野球で東の横綱と言われた上尾高校との春季埼玉県大会決勝戦。その選抜で大会No.1左腕の呼び声高かった日野投手に3打席連続三振だった。
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当時立教高校と練習試合やりました。長嶋の一茂の守備位置はファースト。つまり背番号3。公式試合だと県営大宮球場で『三番ファースト長嶋背番号3』とアナウンスされ観客席に陣取った長嶋茂雄のファンは拍手喝采でした。懐かしい昭和の思い出です!
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長嶋茂雄氏が佐倉一高時代に夏の選手権南関東大会(当時は千葉県と埼玉県で1代表を争っていた)で本塁打を放った当時の県営大宮公園球場はセンターが105メートル程しか無かったと聞いています。なのでバックスクリーン直撃の本塁打も、今の球場規格なら、大きな外野フライだったのかも知れません。
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確か、ショートがジャンプして届かなかった打球が、低い弾道でそのままホームランになったんですよね
それをたまたまスタンドで見てた新聞記者だかが、知り合いに電話して…みたいなエピソードですね
まさに、一瞬で人生が変わった、映画のような話
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天下の長嶋親子だが、2人とも甲子園常連校では無いんだよね。それどころか高校野球界隈では無名に等しい学校。そこらへんは親近感湧く。まぁ一茂の場合はクリスチャン系ッてことが色濃いけど。
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94年4月29日の祝日に「大宮のイースタンリーグ巨人ー横浜戦」を見ようと大宮公園のサッカー場の隣の野球場に行ったら高校野球やっててアレ?で。
結局大和田公園って場所の大宮市営球場で。まだ「大宮市」の時代で。
この試合、中盤に長嶋一茂選手は満塁走者一掃の2塁打を打ち、程なく1軍に上がって行きました。
お父さんの大宮のホームランの話は薄々聞いてはいましたが、こちらの球場では無かったみたいですね。
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旧県営大宮球場はとても狭くてあれはあれで味のある。まさに昭和の球場だった。打ち上げればホームランと言っても大袈裟ではなくスタンド席も少なかったので場外ホームランもたくさんあった。
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私も還暦になりましたけど今から40数年前に高校球児で夏の大会でコールドで負けましたが唯一私のソロホームランで1点入れた懐かしい思い出すね
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県営大宮球場はセンターまで108mぐらいだったんだよね(今は違いますが)。長嶋茂雄はバックスクリーンに当てたと言うけど、もし西武球場だったらホームランにはならないかもと思っていました。



