小室ファミリー全盛期はたった3年間だった! 90年代、前代未聞のブームを終わらせた意外なアーティストの名前

小室ファミリー全盛期はたった3年間だった! 90年代、前代未聞のブームを終わらせた意外なアーティストの名前

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小室ファミリー全盛期はたった3年間だった! 90年代、前代未聞のブームを終わらせた意外なアーティストの名前(集英社オンライン) - Yahoo!ニュース
trf、華原朋美、H Jungle With t、globe――1990年代の音楽シーンを席巻した「小室ファミリー」。そのブームはいつから始まり、なぜ終わったのか。多くの人が終焉の理由に宇多田ヒカル

みんなの反応

: 櫻坂46まとめちゃんねる

おもしろい考察だと思う。
ただ、「たった」3年というよりかは、あのCD全盛期時代の90年代で3年間「も」トップ君臨したのはやはり恐るべきプロデュース力だと思う。
小室サウンドを受けて青春時代を過ごした私としては「YOU ARE THE ONE」がリリースされたのが確かにピークを迎えた感じがした。
正月番組であの楽曲を皆で歌っていた様が今思えば一つの集大成だったんだと思う。

: 櫻坂46まとめちゃんねる

渡辺美里さんに提供した「My Revolution」を始めて聴いた時、転調を繰り
返す曲の展開に小室さんの無限の才能の可能性を感じた。窓を全開にし初夏
の風に吹かれながらフルボリュームで湾岸をよくドライブした。
ただ個人的にはそれ以降の怒涛のヒット曲にはピンと来なかった。
それ程までに「My Revolution」を聴いた時の斬新な感動は今も色褪せない。

: 櫻坂46まとめちゃんねる

個人的な感覚では、小室ファミリーブームはもう少し続いた感覚で、まず91年まで活動してたTMN時代には1作もミリオンを出せてなかった中で、94年に篠原涼子さんの「愛しさと切なさと心強さと」が女性のソロアーティストとして初のダブルミリオンを達成してから始まった。

それ以降もミリオンやダブルミリオンを達成してながらも年間チャート1位は取れない状態の中で(H jungle with Tの「Wow War Tonight」も年間2位で、1位がDreams Come Trueの「LOVE LOVE LOVE」だった)、安室奈美恵さんの「Can You Celebrate?」が初の年間1位で、それが唯一でもあった。

安室奈美恵さんはそのあとに出産で休養したけど、それ以降もヒット作は続いて、小室ブームのラストは99年の鈴木あみさんだったような気がする。

: 櫻坂46まとめちゃんねる

私はこの時代の音楽史が好きでよく調べているのですが具体的に誰が小室プロデュースを終わらせたとかはないとは思いますが小室哲哉自身は宇多田ヒカルの登場は僕の時代を終わらせたとは言っていたみたいですね。
98年は小室プロデュース衰退の年とは思います。まだglobeはラルクに対抗してシングル4作連続リリースとかしてたし、鈴木あみのデビューとかがありましたけど時代はラルクやGLAY、その年デビューの宇多田ヒカル、浜崎あゆみ、椎名林檎とかの方が99年から人気が爆発してますね。 年間シングルランキングにもあまり入ってこなくなったのも98年からですね。結論としてはラルクやGLAYの台頭そして安室奈美恵やglobeに変わって宇多田ヒカルと浜崎あゆみが出てきた。これが要因ではないでしょうか?

: 櫻坂46まとめちゃんねる

90年代日本ポップス界を盛り上げた一人でしたね。
彼の作り出すリズムやメロディーは唯一無二で、見たことも無い新しい玩具の様でキラキラしてました。
色んな人が歌う事で形を変えて量産してた。
一大ブームになると飽きられるのも宿命。

代わって出て来た大人びたR&Bグルーヴの波によって古いおもちゃは隅に追いやられてしまった感がありますね。
まだ幼い少女が歌う大人びたリズムはそれに拍車をかけた。

絶頂当時、密着ドキュメンタリーをテレビで観た記憶があるが、多忙を極め自分のキャパを遥かに超えて目の前の仕事をこなす彼を見て「そのうち壊れちゃいそうだなあ」と感じてた。

色々あっただろうけど、
もしかすると今が一番良い環境で音楽と向き合えるのかもね。

: 櫻坂46まとめちゃんねる

当時大学生でした。CAN YOU CELEBRATEが出たのは確かに97年ですが、もうこの頃小室ブームは冷めてきていました。正直言うと特定アーティストの台頭や引退でムーブメントが終息という感じではなかったです。

おそらく音楽の趣味の多様化が原因じゃないかと思います。小室自身、ダンサブルでキャッチーな曲から少しずつソウルやハウスなどクラブで人気のあったジャンルの要素を取り入れることが増えていましたがうまくいかず。また小室に匹敵する人気のあったミスチルも活動休止。スピッツも徐々に人気が落ち、群雄割拠になった印象です。

洋楽勢もマライアキャリー、ジャミロクワイ、スキャットマン・ジョン、ボンジョビ、オアシス、グリーンデイなど多種多彩でした。

: 櫻坂46まとめちゃんねる

宇多田の登場が転機じゃない?
小室が「自分の作った流れ(ダンス系の曲)を、高校生くらいの彼女1人で壊した。嫉妬もしたが尊敬もした」みたいな事を言ってたのを見た。

まあ何だかんだで、「小室プロデュース」なら何でも売れるブランドを作ったのは凄い。

個人的には、Hジャングルを作れたのは驚き。
ダンス系の小室が、まだマイナーなジャングル(レゲエ)で、成功しかしてない小室が、中年の悲哀のような世界観を作り上げたのは、今考えても異質

: 櫻坂46まとめちゃんねる

90年代を学生で過ごせたのは幸せだったと思います。あんなに音楽が進化した時代はなかったし、その先頭にいたのが小室やYOSHIKIだったのではと思います。小室に至っては3年かもしれないが、すごい数の楽曲を世に送り出した。曲を生み出す力と、アーティストを売り出す力は群を抜いていた。今はすっかり音楽を聴かなくなったが、90年代の曲を聴くと特別な気持ちになれるので、今晩はあの頃に浸りたいと思います。

: 櫻坂46まとめちゃんねる

記事でもTRFのBoy Meets Girlが出ている通り、個人的には小室ファミリー全盛期の始まりはTRFの1994年のSurvival Dance(内田有紀ら主演のドラマ「17才」の主題歌)かBoy Meets Girlで小室ファミリー全盛期の終焉は1998年10月リリースのglobeのPerfume of Love辺りまでかな、と。
とにかく当時は、今まで聞いたことのなかったような新しいサウンド、まさに90年代J-Popを最も象徴しているサウンドだったという印象で音楽ファン(とくに邦楽ファン)にとっては最も幸せな季節だったんじゃないですかね。

: 櫻坂46まとめちゃんねる

大衆音楽で「売れる人」の絶頂期や周期は、ほぼ3年で自然と入れ替わると思ってます。
デビューから3年で売れなければ、余程の偶然が無い限りブレイクしないでしょうし、そこから絶頂期に入っても、持って5年程度。
裏方が長く売らせようとしても、演者本人がスタミナ切れして売れなくなるケースの方が圧倒的に多いかと・・・。
絶頂期中に危機感等を抱いて、売れてる路線から意識的に決別が出来る演者が、その後も息が長く活動が出来てると感じます。

: 櫻坂46まとめちゃんねる

1997年はフォークデュオのゆずがインディーズでデビューし、翌1998年には「夏色」がスマッシュヒットしましたね。
小室サウンドやダンスミュージックに飽き始めた頃に、フォークの音色、しかも素朴で爽やかなビジュアルで登場した二人はものすごく新鮮でした。
「夏色」は大学近くの、今はなきコンビニam/pmの店内放送から流れていたので耳にしたのが最初で、ゆずを知ったのもそれが初めてで、結構衝撃的でした。フォークじゃん!と。
椎名林檎の登場もこの頃でしたよね。
'90年代末そして20世紀末のJ-POPシーン、懐かしい、、、。