「悪性だったら覚悟を」幼少期に骨に腫瘍発覚した元・乃木坂46 衛藤美彩 「父はショックのあまり気絶して」自身に影響を与えた両親の子育て観
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みんなの反応
: 櫻坂46まとめちゃんねる
「美彩ちゃんが生きているだけでいいのよ」
→確かに親目線からすればその通りですね。今朝10歳の子供が妻に宿題やらずにほったらかしてた事で激怒され、学校途中まで一緒に行きましたが死にそうな顔で登校しました。帰りが恐いので学校まで迎えに行きますが、こういう話を目にすると「たかが宿題ぐらい」と思いますね。
全然話の大きさ違いますが、子供には元気に成長して1人立ちしてもらえればそれだけで親としては十分。
: 櫻坂46まとめちゃんねる
50歳直前にクリニックで悪性の可能性があるから、急ぎ大きな病院を紹介すると言われました。
翌日に大きな病院を受診し、ガンの手術を受けることになるのですが。
クリニックを出たところで自宅に電話しました。
父親が出たのですが、聞いた瞬間座り込んだそうです。何も考えられなくなり、しばらく動けなかったと聞きました。
そのなかで2階に居た母親を1階まで呼んでから伝えたそうです。様々なことを考えつつ冷静に判断してくれたんだと思います。
両親からは我が子は大切な宝物だ、年齢なんて関係ないと言ってもらいました。
投薬後はつらいため通院には母親が付き添ってくれます。
端から見れば、年老いた母親に娘が付き添っているように見えるんだろうねと笑ってます。
両親からは無償の愛情をたくさんもらっていると実感しています。
: 櫻坂46まとめちゃんねる
私の子供は13歳で亡くなりました。
10歳で発病、10ヶ月の治療入院、2ヶ月のリハビリ入院、退院後自宅療養8ヶ月で再発、自宅治療10ヶ月で亡くなりました。
その間多くの関わりを持って、一時は治るものと思ってリハビリを頑張らせたりで苦しい日々でした。
今でも13年間の子供との生活が思い出されますが、その時々が彼にとって最良だったのか、自分の接し方が最良だったのか、と自問自答が続きます。
誰も子供が早く死ぬことを前提に過ごしたりはしないでしょうが、せめて、あの時ちゃんと全力で接していたら良かったとか、もっと好きなことをさせてあげればよかったとかの後悔がないようにと思います。
: 櫻坂46まとめちゃんねる
昨年乳がんが発症しました。
わかった時は信じられず、冷静に受け入れられるようになるまで時間がかかりました。
その中でも「絶対に死にたくない、絶対寛解目指す!」と思わせてくれたのは子供達の存在ですね。
まだ2人とも小学生、もっともっと成長を見守りたいです。
「どんな大人になるのかな」「私の身長はいつ超えるのかな」「いつか好きな人と付き合ったりできるのかな」
と。
親にとって、我が子ってほんとに宝物だし、自分の命より大事なものです。
なので、元気に笑って生きて楽しくしてくれてるだけでほんとは幸せなんだって思うようになって、病気になってから(以前よりは)怒らなくなりました笑。イライラしてても笑ってても時間は同じ分だけ消費しちゃいますからね、怒ったりしてる時間をもったいなく感じるようになりました。
: 櫻坂46まとめちゃんねる
確か、小学校卒業まで体育はほぼ見学だったらしいですね。ずっと飛び跳ねたりできるバレーボールに強い憧れがあったから中学ではバレー部に所属。運動できる喜びを噛み締めながら必死に努力して一年生からレギュラー。
本人は熱量はそこまでだったと言っていますが相当に嬉しかったんでしょうね。
: 櫻坂46まとめちゃんねる
可憐で健康そうなのに、そんな闘病の幼少期があったんですね…。
亡き父が、待望の長男である自分を授かった時に命名を頼む為に、斯道の大家の元へ向かうと「どんな子に育って欲しいんだね?」と聞かれたそうです。
父は逡巡したそうですが「元気ならそれだけで良いです」と答えたと聞かされました。
後年、自らが小児喘息で貧しい家計を治療費で困窮させてしまったことや、骨折した時も田舎の藪医者に掛かり、腕の骨が曲がったままだった苦労話を聞かされたものです。
「そりゃ、バカより賢い方が良いしモテないよりモテる男、貧乏より金に不自由しない人生が良いが健康は金には代えられん」と言っていました。
お陰様で、幼少から病気知らずで事故に遭っても無傷で過ごせて来れたのも、親が願う一念の賜物だと今の歳に成っても思うこの頃です。
: 櫻坂46まとめちゃんねる
衛藤さんのお父様も気絶するのも分かります。
自分の同い年の従兄弟は、幼い頃にめったいにない足の癌になって周りも覚悟したことがあります。
奇跡的に大きな病院で治すことができました。
恐らく治験もやったと思います。
その出来事が幼い私は衝撃的で、今でも怪我をしたりすると従兄弟の顔が浮かんで、これぐらい大丈夫大丈夫。と、思うようになりました。
: 櫻坂46まとめちゃんねる
良性との結果が出るまでのお母様の気持ちを思うと、本当に胸が痛くなります。
うちの息子は、GWに入るタイミングで、血液検査にて白血病と診断されたんですが、どのタイプの白血病かわかるのは骨髄検査をしてから。
タイプによって、予後も違うので、検査が出来る連休明けまでは、生きた心地がしませんでした。
寛解から5年が過ぎても、「頭がいたい」「足が痛い」と言われる度、再発が頭をよぎって不安になるし、ホント「生きてさえいてくれたら」って思ってました。
あれから14年。今では、病気だった事も忘れがちになりますが、「当たり前の日常を当たり前に思える」それはそれで幸せだなぁとも思います。
: 櫻坂46まとめちゃんねる
≫当時は幼くて事の重大さを認識していなかったので、運動会に出られないのが嫌だとか、そんな程度の気持ちだったと思います。手術後は切断した骨がくっつくまで広範囲をギプスで固め車いす生活でした。自宅で安静にしていたのですが、子どもは回復も早いみたいで。リハビリなどをしながら歩けるようになりました。とはいえ、低学年のうちは走ることが禁じられていましたし、不自由が残る部分はありました。小学校は階段しかないのですが、お友達や母が付き添ってくれるなど、周りにたくさん助けてもらいました。その後、中学3年生になるまで毎年検査をして再発していないか調べました。
このような衛藤さんの苦しい過去があるとは思わず驚きましたが、この幼少期の時に病気に負けずに克服出来たからこそ、充実したアイドル生活、そして素敵な旦那様との家庭に結びついているものだと思います。
: 櫻坂46まとめちゃんねる
私の娘も膝が痛いと部活を休むことがあり、成長痛かな?となるか考えていましたが、あまりに痛がるので病院へ行きました。
レントゲンをとるとなにか影があると言われ、軽く考えていた私はドキッとしました。骨に腫瘍があるかもしれないのでMRIをとって調べましょうとなり、みるみるうちに不安で押しつぶされそうでした。
本人はなんのこっちゃ?って感じで、大袈裟すぎ!など言っていましたが、横で私は心配させまいと明るい話をしていました。
結果、大腿骨に腫瘍がありましたが良性とのことで手術もしなくても良いとなり、一気に力が抜けました。
結果が出るまではこれからどうなるのかと調べまくって不安になってと、体重が一気に減りました。
勉強や運動ができなくても元気でいてくれたらそれが1番。親は色々子に期待するけれど、健康に育ってくれれば本当にそれだけでいい。